第1回「松屋」(太宰府市) 京都脱出の勤皇僧月照をかくまった薩摩藩定宿

一筆啓上

 どれほどの回数、太宰府天満宮を訪れたか、まったくもって、わからない。七五三のお宮参りでは、椅子から転げ落ち、おでこにバッテンの絆創膏を貼った晴れ着姿の写真が遺っている。保育園、小学校では遠足、高校、大学受験でも合格祈願でお世話になった。遠方の来客も、太宰府天満宮に案内すれば、満足される。

 そんな太宰府天満宮が明治維新の策源地であったと知るのは、ずいぶんと後のこと。まさか、あの西郷隆盛、坂本龍馬までもが太宰府天満宮を訪れていたとは、驚きだった。一般には、「学問の神様」として知られる太宰府天満宮。それだけに、幕末維新史に関係する社とは思いもしなかった。しかし、幕末維新史、近現代史に視点を置いて太宰府天満宮を眺めると、あるわ、あるわ。従来、気にも留めなかった場所に、いくつもの宝物を見つけた。

 そんな宝の山を掘り下げるにあたり、即座に思いついたのが「松屋」だった。西鉄太宰府駅から続く参道に面し、目につくのが「旧薩摩藩定宿」の看板。店内に入ると、西郷隆盛(吉之助)、大久保一蔵(利通)、平野國臣、勤皇僧月照の書などが無造作に掲げてある。「維新の庵」の額に、庭には月照の歌碑も。

 連載を始めるにあたり、自身の直感を信じたのだった。

太宰府天満宮門前町の茶店 月照の歌碑、「旧薩摩藩定宿」「維新の庵」の看板 月照は福岡藩士・平野國臣に伴われ、薩摩に逃げ落ちるが……

 太宰府天満宮といえば、学問の神様こと菅原道真をまつる社として全国に知られる。合格祈願で訪れる受験生に加え、近年は外国人観光客の姿が目立つ。さらに、幕末維新史に興味を抱く歴史ファンも訪れるようになった。

松屋の並び、左隣は長州藩指定宿

 この歴史ファンの目当ては、参道入り口に近い「松屋」である。一見、門前町のどこでも目にする茶店だが、ここは勤皇僧月照がかくまわれていた場所だった。京都清水寺の月照は安政5年(1858年)、いわゆる「安政の大獄」によって徳川幕府の嫌疑の対象となった。京都を脱出し、庇護ひごを求めて薩摩(鹿児島)へと西下したが、その途中で滞在したのが「松屋」だった。

松屋の外観

「維新の庵」額と薩摩藩定宿(松屋)

薩摩藩指定宿(太宰府天満宮参道松屋) 店の右手奥に喫茶室があるが、さりげなく「旧薩摩藩定宿」の看板が立てかけてある。菅原道真の平安時代から、幕末へと一挙に意識が飛躍する瞬間でもある。さらに、その手跡が京都清水寺もり清範せいはん貫主であることから、俄然、目が輝く。あの年末恒例の「今年の漢字」を書かれる方だからだ。

 もうひとつ、喫茶室の入り口頭上にも注意を向けたい。「維新のいおり」と黒地に金箔きんぱく文字が浮かび上がる看板が掲げてあるからだ。実に、太宰府天満宮は維新史に関係があったのだと主張しているかの如く。手跡はやはり、先述の森貫主だが、平成2年(1990年)に書かれたものという。間もなく明治維新150年になるが、いったい、この太宰府天満宮と維新史に何が関係しているのか。それを探るべく、はやる気持ちを抑えて喫茶室へと進む。

松屋「維新の庵」看板

 しばし、こけむした庭に目を奪われる。しかし、徐々に気持ちが落ち着くと、壁に掲げてあるパネルに気付く。そこには月照の和歌があった。

 「言の葉の花をあるじに旅ねする この松かげは千代もわすれじ」(月照)

月照の歌碑色紙

 この月照の歌は庭の石碑にも刻まれている。

月照の歌碑

 さらに、薩摩藩定宿であったことを示すものとして西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)の書簡(レプリカ)。月照を薩摩まで送り届けた福岡藩士の平野國臣の手跡までを目にするとは思いもしなかった。

 平野國臣に伴われ、ようやくにして薩摩に逃げ落ちた月照だったが、安政5年11月16日、西郷に抱かれて錦江湾に入水し果てた。この西郷の決死の決意が引き金となって、日本の維新は大きく動き出したのだった。


 明治維新150年――。近現代史に詳しい歴史作家・書評家の浦辺登さん(福岡在住)に、福岡県内全域を対象に、幕末から現在までつながる維新の秘話を紹介してもらいます。

筆者プロフィル

浦辺登さん

浦辺うらべ のぼる 歴史作家・書評家
1956年(昭和31年)、福岡県生まれ。61歳。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌等への投稿を行う。オランダ系生命保険会社勤務、財団法人日本プロスポーツ協会事務局長を経て、日本近現代史を中心とした執筆・講演活動に入る。現在、福岡の偉人の足跡を伝える講座を黒田家ゆかりの圓應寺(福岡市)などで開講し、新聞・雑誌で書評を担当。2017年6月から読売新聞の福岡県地域版で「維新秘話」を連載しており、18年4月からは福岡市のソラリアステージで開講中の「よみうりSPACEラボ」講師を務める。著書は『玄洋社とは何者か』『東京の片隅からみた近代日本』『太宰府天満宮の定遠館』(いずれも弦書房)など。学校現場を含め、講演多数。「福岡先哲の会」主宰。
 「浦辺登の福岡維新を歩く」は、読売新聞の福岡県地域版の連載企画「維新秘話 福岡」(連載中)に掲載された記事をもとに、新たな文章や写真などを加え、レイアウトも大幅に変更して再構成したものです。
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「歴史メシ ハルさんカレー」 福岡在住の歴史作家・浦辺登さんが講演 中村学園創立者・中村ハルさんの伝説のカレー誕生秘話

 学校法人中村学園(福岡市城南区別府5)創立者、中村ハルさん(1884~1971年)が生徒に教えたインドカレーをテーマに、福岡在住の歴史作家・浦辺登さんが6月24日(日)、講演を行いました。会場は福岡市博多区博多駅前1の割烹「博多 魚宴」。女性ら約30人が「ハルさんカレー」を作って味わう催しが開かれ、煮込み時間を利用して浦辺さんが話しました。戦後のバザーで学校設備費を稼ぎ出すほどの人気を博した伝説のカレーは、いかにして誕生したのか――。それでは、講演をお聞きください。

 今回、「歴史メシ」として、「ハルさんカレー」の原点を探りたいと思います。

 この「ハルさんカレー」の原点は、東京・新宿の「中村屋」にあります。その新宿「中村屋」のカレーが、なぜ、福岡に伝わったのか。また、そこに隠れていたエピソードについて、お話をしたいと思います。

 いまや、日本の国民食といわれるものに「カレー」「ラーメン」「ハンバーグ」があります。日本の食生活に、欠かせないメニューです。実は、私は、20年以上も前から九州ラーメン研究会のメンバーです。個人的には、このカレー、ラーメン、ハンバーグにスパゲッティ・ナポリタン、オムライス、冬場であればクリーム・シチューが日替わりで出てくれば、幸せな日々を送ることができます。いわゆる「おこちゃまメニュー」が大好きです。現在、61歳、精神年齢は、自称18歳です。

 毎月、圓應寺(福岡市中央区大手門)で歴史の勉強会を開いておりますが、その際、ラス・ビハリ・ボースというインド人亡命者を福岡の人々がかくまった話をしました。今から100年ほど前のことです。

 なぜ、インドから、日本に逃げてこなければならなかったのか。

 当時のインドは、イギリスの植民地でした。イギリスは、インドの人々が食べる食物の代わりに、お茶、綿、さらには、麻薬の一種・アヘンまで栽培していました。

 お茶は、イギリス人がティー・タイムと称しての楽しみでした。「アメイジング・グレイス」という映画をご存知の方は多いと思います。あの歌は、アフリカの民を奴隷として中南米に送り込んだことを後悔する歌です。イギリス人は、紅茶に砂糖を入れて楽しみましたが、その砂糖栽培に酷使するためにアフリカの奴隷を必要としたのです。イギリス人は、お茶の栽培にインド人、砂糖栽培にアフリカの奴隷を使ったのです。

 さらに、インドでは綿花、コットンの栽培もしていました。コットンは、ヨーロッパで人気の繊維であり、作れば作るだけ売れる商品作物でした。

 挙句の果ては、アヘンです。アヘンをインドで栽培し、中国に売りつけていたのです。「アヘン戦争」という言葉を聞かれたことがあると思います。イギリスは中国からお茶を輸入していましたが、貿易赤字に陥り、アヘンを中国に売りつけたのです。中国の国家予算の30%以上がアヘンの購入代金というときもあったほどです。

 インドはイギリスに搾取されるだけの国でした。インドの人々が、どれほど飢餓に苦しもうと、イギリスには何の関係もないことでした。

 そこで、なんとかイギリスから独立したい、インドの苦しむ人々を救いたいと立ち上がったのが、ビハリ・ボースでした。しかし、そんなボースを、イギリスは指名手配して処刑しようとしたのです。そこで、ボースは助けを求めて日本に逃げたのです。

 そのボースを命がけで守ったのが、ここ福岡出身の人々だったのです。頭山満、杉山茂丸、宮川一貫、内田良平という人たちでした。見事な連係プレーで、ボースを守り抜いたのです。知り合いの新宿「中村屋」の相馬夫妻のアトリエにボースをかくまってもらいました。

 ボースは、中村屋の一人娘の俊子と結婚します。頭山満夫妻が仲人を務めました。ボースは結婚を機に日本に帰化しました。そのお礼に、中村屋にインドカリーを伝えたのです。それが、今も中村屋名物の「インドカリー」です。このインドカリー、当時の物価からみても、相当に値段の張るものでした。しかし、そのおいしさは東京中の評判となり、大人気。中村屋の看板メニューとなったのです。人々はボース、俊子夫妻にかけて、「恋と革命の味」と喝采を送りました。

 この評判を聞きつけたのが、当時、横浜で教員をしていた中村ハルさんでした。初めて、そのインドカリーを食べたとき、あまりの辛さに舌がしびれるほどだったと自伝に書いています。しかし、そのスパイスが絶妙でおいしい。なんとかして、このインドカリーのおいしさの秘密を知りたいと思いました。

 調理法を学ぼうとしましたが、中村屋からは断られました。そこで、一計を案じ、郷土の先輩である頭山満に頼み込んだのです。ボースからすれば命の恩人である頭山満の紹介です。断り切れず、中村ハルさんに、インドカリーの秘伝を伝えたのです。それが、今、福岡に伝わる中村学園の「ハルさんカレー」の原点なのです。

 1947年8月15日、晴れて、インドはイギリスから独立を果たすことができました。ぜひ、今日、この「恋と革命の味」を伝える「ハルさんカレー」を味わっていただきたいと思います。

中村ハルさんの略歴

 明治17年、現在の福岡市早良区西新で農家の次女として誕生。明治35年(17歳)、福岡で教員に。大正9年(35歳)、女学校の家庭科教諭になり、翌年、家庭科教育を本格的に勉強するために横浜へ。高等小学校で教べんを取る一方、高等師範学校や大学の講習会に参加したり、一流のホテルや料亭の調理場に入ったりして、料理法を勉強。この頃、東京・新宿の中村屋のインドカリーに出会い、学ぶ。関東大震災後、神戸に転任し、関西でも一流料理店で料理法を勉強。昭和5年(45歳)、福岡に帰郷し、高等女学校の教員に。昭和20年6月の空襲で校舎がほぼ全焼。戦後、校舎再建のため、中心になって料理バザーを開催。生徒に教えてきた中村屋仕込みのカレーが人気を集め、全体で約20万円もの収益を上げ、校舎新築を実現。退職後の昭和24年(64歳)に中村割烹女学院(現・中村調理製菓専門学校)、昭和29年(69歳)に福岡高等栄養学校(現・中村学園大学)、昭和35年(75歳)には中村学園女子高等学校を開校。バザーなどを通じ、ハルさんカレーは学園内外に知られる。昭和40年(81歳)、勲三等瑞宝章受章。昭和46年、87歳で死去(従四位勲三等宝冠章追叙)。

中村ハルさんの孫、中村調理製菓専門学校(福岡市中央区平尾2)の中村哲校長にご協力いただきました。

 講演当日の「ハルさんカレー」づくりは、福岡・博多の歴史や和の文化を伝えるNPO法人福博相伝の会(福岡市中央区大手門3)が企画。女性らが腕によりをかけた出来上がりはすばらしく、「シンプルで深い味わい」「ハル先生のこだわりが伝わってくる」などの声が上がっていました。以下にレシピをご紹介します。

「ハルさんカレー」レシピ

音色、舞、香り、そして歴史―― 七夕🎋を風流に過ごしませんか 光姫ゆかりの圓應寺(中央区大手門)で「弁財天大祭」

短冊2(縦 福岡藩祖・黒田官兵衛の正室で、初代藩主・長政の母である光姫が創建した圓應寺(福岡市中央区大手門)で7月7日(土)、「弁財天大祭」が開かれます。どなたでも自由に参加できます。せっかくの七夕、浴衣や着物でお出かけするのもいいですね。配布される短冊に願いごとをしたためれば、叶いそうな予感?!

 圓應寺は、1945年(昭和20年)6月19日の福岡大空襲で灰じんとなりました。唯一、弁財天堂だけが焼け残り、光姫をはじめ、黒田家歴代の姫や家臣の妻たちが信仰した弘法大師(空海)作の弁財天は事なきを得ました。こうした歴史から、毎年七夕に大祭を開き、大空襲をくぐり抜けた寺宝、弁財天のご開帳を行っています。

 当日は法要の後、中村旭園社中・米村旭翔さんが筑前琵琶演奏を、春日遥香さんと藤城道博さんが舞を奉納し、弁財天がご開帳されます。

 参加者には、願いごとを書き入れる短冊が無料で配られ、参道に並ぶ竹に結びつけることができます。会場では、にほひ袋づくり(参加費2,000円)やミニ写経(参加費500円)を体験できるほか、わらびもちお抹茶セット(500円)や光姫にぎり(500円)などを味わえます。頒布物としては、光姫お守り(1,000円)、高取焼栴檀(せんだん)香風鈴(2,000円)、博多織鈴箱(500円)が用意され、弁財天御朱印(300円)も特別発行されます。また、先着7人限定で浴衣の着付けサービス(料金1,000円)もあります。

 圓應寺は「弘法大師のエネルギーや、弁財天のご利益を感じていただければ」と呼びかけています。

 <文中の金額は税込み>

日時
7月7日(土)10:30~
会場
圓應寺本堂
〒810-0074 福岡市中央区大手門3-1-7(電話092-761-1454)
地下鉄大濠公園駅下車、徒歩約4分

タイムスケジュール
10:30 受け付け開始(短冊を無料配布)
11:00 弁財天大祭法要(本堂)
11:30 筑前琵琶奉納 中村旭園社中・米村旭翔さん 「弁財天さま」
舞奉納 春日遥香さん、藤城道博さん 「弁財天の舞」
三木和信住職ごあいさつ
12:00 自由拝観
弁財天ご神体ご開帳
特別展示「弁財天奉納頭山満夫人写経」
13:00と14:00 香あそび「世界でひとつの自分だけのにほひ袋をこさえよう」(参加費2,000円)
ミニ写経体験「散華写経」(参加費500円)
お寺おやつ
圓應寺わらびもちお抹茶セット(500円)、光姫にぎり(500円)ほか
頒布物
圓應寺相和守(光姫お守り、1,000円)、高取焼栴檀香風鈴(2,000円)、博多織圓應寺鈴箱(500円)
特別発行
弁財天御朱印(300円)
浴衣着付け
先着7人限定。料金1,000円。
お申し込みは事前に、着付け師・絢子さん(090-8629-3118)へ。

<金額は税込み>

あの日を忘れない―― 福岡大空襲 17日(日)に簀子地区戦災死者慰霊祭 圓應寺(中央区大手門)で

 「簀子地区福岡大空襲戦災死者74回忌慰霊祭」が6月17日(日)、簀子地区にある圓應寺(福岡市中央区大手門)で行われます。だれでも自由に参加できます。
“あの日を忘れない―― 福岡大空襲 17日(日)に簀子地区戦災死者慰霊祭 圓應寺(中央区大手門)で” の続きを読む