第32回「鳥飼八幡宮」(福岡市) 中央区今川 憂国の志士・平野國臣 情熱の書簡遺る

一筆啓上

 東京都板橋区に高島平という場所がある。その地名の由来は、高島秋帆(長崎出身)が西洋砲術の試射をしたことにちなんでいるという。板橋区の図書館、資料館を訪ねると、高島や大砲関連の資料がそろっている。

 この高島は、弟子の池辺啓太(熊本出身)とともに冤罪で牢屋に放り込まれたことがある。長崎事件という天保14年(1843年)におきた密輸事件での容疑だった。

 この牢屋暮らしにおいて、池辺啓太はワナを仕掛けてネズミを捕獲。そのヒゲを集めて筆をこしらえた。次に、漆茶碗の破片を砕いて墨汁にし、鼻紙などに大砲の弾道計算を記した。

 江戸時代の牢屋には、墨や筆という筆記用具類は持ち込めない。手紙による外部との連絡手段を封じるためだ。

 文久2年(1862年)、平野國臣くにおみも牢屋暮らしを送った。平野の場合、落とし紙(トイレットペーパー)で紙縒こよりを作り、それを文字の形にし、ご飯粒で紙に貼りつけ、手紙や意見書にした。1つの論だけでも3万本程の紙縒りが使われたという。

 絶望のふちにあっても、池辺や平野の、「知りたい」「伝えたい」という熱意に言葉を失う。

 残念なことに、池辺が記した論集は明治10年(1877年)の西南戦争で焼失した。

 しかし、平野の書簡類は一部だがのこっている。インターネットで気軽に通信ができる現代だが、「伝えたい」という平野の一念に声を失った。

「幕府滅亡・国家統一」唱え宣撫活動 牢獄でも超人的エネルギーの紙縒り文字

 福岡市の中心部を東西に貫く明治通り。その通りに面した鳥飼八幡宮の一画に、中野正剛(1886~1943年)の銅像がある。中野は朝日新聞記者から政界入りし、言論と演説で時局を厳しく批判した。「天下一人を以て興る」の中野の言葉に、今も共感を覚える方は多い。

 その中野正剛の“先駆者”が平野國臣くにおみだ。平野も一人で、言論と演説で天下を鼓舞した。平野は文政11年(1828年)3月29日、福岡市中央区今川の鳥飼八幡宮の近くで生まれた。父の平野吉蔵は軽輩の福岡藩士ながら、武術師範として多くの門弟を指導。その影響からか、國臣も身のこなしが軽い少年だった。鳥飼八幡宮は、少年國臣の恰好かっこうの遊び場であったと伝わる。

鳥飼八幡宮(参道前)

 その國臣に転機が訪れたのは、筑前大島への赴任だった。宗像大社沖津宮の営繕係として渡島したが、ここで北条右門(薩摩藩士・木村仲之丞)と知り合う。北条は薩摩藩主の後継争い「お由羅騒動」に関係し、庇護ひごを求めて福岡に避難していた。國臣は、この北条から日本を取り巻く国際情勢、政治状況を伝えられ、国の行く末を嘆いた。ここに、憂国の志士平野國臣が誕生する。

 その國臣が江戸藩邸に赴任した嘉永6年(1853年)、アメリカのペリー艦隊が浦賀に来航する。國臣の父は福岡と江戸とを往復する役目も担っていた。父から幕府の情勢も得ていたが、実際に聞くと見るとでは異なる。ペリー来航に大混乱の江戸の武士、無為無策の幕府。大いに憤慨し、日本の対応に歯がみした國臣だった。

 國臣は、「日本は、このままでは、欧米の植民地になってしまう」と考えた。そこで、「幕府滅亡・国家統一」を唱え、たった一人で、天下を動かそうと試みる。日本が統一国家とならなければ、欧米の侵略を受け滅んでしまう。その危機的状況を伝えるため、宣撫せんぶ活動に入る。大胆にも、福岡藩主黒田長溥ながひろに意見書を提出した。

 しかし、無礼者として國臣は牢獄に投じられた。外部との通信を遮断するため、筆、硯、紙を取り上げられ言論を封殺される。しかしながら、便所の紙で紙縒こより文字をこしらえ、手紙、意見書を作るという超人的エネルギーを発露。その紙縒りの数は、およそ3万本にも及ぶという。

 今回、鳥飼八幡宮の山内圭司宮司に、その國臣の情熱が詰まった紙縒り文字書簡を見せていただいた。維新回天の大業に燃える、國臣の意志が詰まった書簡に感慨を深くした。

筆者プロフィル

浦辺登さん

浦辺うらべ のぼる 歴史作家・書評家
1956年(昭和31年)、福岡県生まれ。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌等への投稿を行う。オランダ系生命保険会社勤務、財団法人日本プロスポーツ協会事務局長を経て、日本近現代史を中心とした執筆・講演活動に入る。現在、福岡の偉人の足跡を伝える講座を黒田家ゆかりの圓應寺(福岡市)などで開講し、新聞・雑誌で書評を担当。2017年6月から2018年12月まで読売新聞の福岡県地域版で「維新秘話」を連載。著書は『玄洋社とは何者か』『東京の片隅からみた近代日本』『太宰府天満宮の定遠館』(いずれも弦書房)など。学校現場を含め、講演多数。「福岡先哲の会」主宰。
 「浦辺登の福岡維新を歩く」は、読売新聞の福岡県地域版の連載企画「維新秘話 福岡」(2017年6月~2018年12月)に掲載された記事をもとに、新たな文章や写真などを加え、レイアウトも大幅に変更して再構成したものです。
広告

コメントをどうぞ