第29回「早川勇顕彰碑」(宗像市) 吉武地区 筑前勤皇党の一員、医業の傍ら薩長和解など交渉 

一筆啓上

 寒っ……。つい先ほど、小春日和を思わせる日の光から、一変。小雪が舞いだした。

 高杉晋作の全幅の信頼を得ていた早川勇。その早川の像が宗像市にある。天気も良いので、行ってみようと思い、JR鹿児島線教育大前駅から歩いてみた。

教育大前駅看板

 のどかな田園風景を楽しみながらだったが、急に冷たい風、雪に見舞われた。しかし、路線バスは1時間に1本あるかないか。タクシーに遭遇しないかな……。優に30分以上は歩いた頃、遠くに、コンビニエンスストアの看板が目に入る。トイレを借りて、熱々の缶コーヒーで暖をとる。一瞬だけ、生き返った。

 維新における大逆転は薩長同盟といわれる。対立する薩摩藩と長州藩との同盟が結ばれたことから、倒幕への加速がついた。しかし、それ以前に、福岡藩の筑前勤皇党によって薩摩藩と長州藩との和解は済んでいた。ゆえに、この「薩長和解」の直後に、高杉晋作は功山寺決起ができた。いわば、「薩長和解」という保険が掛けられていたからだ。さらに、筑前勤皇党の月形洗蔵が高杉に決起の軍資金も提供した。幕末史において、重要な出来事だが、なぜか、欠けている。これら、薩長の連携を推進した功労者が早川勇。けれども、像と同じく、真実の口は開かない。

 早川の像を撮影し、周辺を歩いていたら、バス停があった。間もなく教育大前駅に向かうバスが来た。暖房が効いた車内から、早川や高杉が眺めたと思しき風景を楽しんだのだった。早川勇といえば、真っ先に、寒かった事を思い出す。

絵・空鳥ひよの
絵・空鳥ひよの

中岡、西郷、高杉らと濃密な人間関係 奔走中に嫡男亡くす 高杉は落涙、望東尼は妻に哀悼の歌

 いまや、人々から仰ぎ見られる早川勇だが、その人生は納得のいくものだったのだろうか。早川の像を前にして考えた。

 像は宗像市の吉武地区コミュニティ・センターの一画にある。JR鹿児島線教育大前駅で降車。バス便もあるが、幕末の移動手段が徒歩中心であることを考え、現地まで歩く。

 旧唐津街道から三條実美さんじょうさねとみら五卿が滞在したことを示す「五卿西遷之碑」を右手に見て、県道29号沿いを左折。時折、小雪が舞う。早川勇、高杉晋作、月形洗蔵らも、寒さを堪えて歩いたのだろうか。30分以上歩いた頃、酒造場の赤レンガの煙突が見えてきて、ようやく到着した。

 早川は天保3年(1832年)、遠賀郡遠賀町の虫生津むしょうづに生まれた。生家は苗字帯刀を許された庄屋。幼少時、月形洗蔵の伯父月形春耕の私塾に通ったことが縁で福岡の月形塾にも通う。ここで、月形洗蔵、医師の鷹取養巴たかとりようはといった筑前勤皇党の面々と同門となるが、武士と同じ扱いを受けた。

 早川は、請われて宗像の吉武、吉留一帯の医者になるが、医業の傍ら藩命として五卿の太宰府移転、薩長和解など、重要な交渉役を任される。他藩からも信任があつかったからだ。

 一般に、薩長同盟は坂本龍馬の業績といわれる。しかし、それ以前の筑前勤皇党の薩長和解交渉があってこその結果である。早川や月形らは、中岡慎太郎、西郷隆盛、高杉晋作らと濃密な人間関係を築き、薩摩を口説き、長州をなだめた。皇国の危機には薩長の和解が絶対条件と説き続けた。

早川勇書の看板

 そんな日本の一大事の中、早川は長男の富士之助を失った。早川が国事に奔走するなか、妻のミネ子は生後半年の我が子の最期を看取みとり、葬儀を出した。このことを知った高杉は、早川に悔やみを述べながら、男泣きに泣いたと伝わる。

<わが背子を旅にやるだに哀しきを子にさへ永の別れせしやと>

 野村望東尼は早川の妻に哀悼の歌を贈った。望東尼も4人の子供を幼くして亡くした。それだけに、ミネ子の気持ちが痛いほどわかる。

 後に、早川は「玉露童子墓」として富士之助の墓を建て、側面に望東尼の歌を刻んで供養した。玉露とは、朝露の如くはかない生命。藩命とはいえ、嫡男の最期を看取ることができなかったことへのせめてもの償いである。

 佇立ちょりつする早川勇の像に憐憫れんびんの情を抱いた。

筆者プロフィル

浦辺登さん

浦辺うらべ のぼる 歴史作家・書評家
1956年(昭和31年)、福岡県生まれ。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌等への投稿を行う。オランダ系生命保険会社勤務、財団法人日本プロスポーツ協会事務局長を経て、日本近現代史を中心とした執筆・講演活動に入る。現在、福岡の偉人の足跡を伝える講座を黒田家ゆかりの圓應寺(福岡市)などで開講し、新聞・雑誌で書評を担当。2017年6月から2018年12月まで読売新聞の福岡県地域版で「維新秘話」を連載。著書は『玄洋社とは何者か』『東京の片隅からみた近代日本』『太宰府天満宮の定遠館』(いずれも弦書房)など。学校現場を含め、講演多数。「福岡先哲の会」主宰。
 「浦辺登の福岡維新を歩く」は、読売新聞の福岡県地域版の連載企画「維新秘話 福岡」(2017年6月~2018年12月)に掲載された記事をもとに、新たな文章や写真などを加え、レイアウトも大幅に変更して再構成したものです。
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