第22回「田中久重生誕地」(久留米市) 西鉄久留米駅近くの住宅街 長崎海軍伝習所で学んだ「東洋のエジソン」 東芝を創業

一筆啓上

 青山霊園(東京都港区青山)はドーム球場が軽く5つは入る広さ。その広大な敷地には、近代史に登場する著名人の墓が林立する。中には、あの、「忠犬ハチ公」の墓も。

 偶然、広い青山霊園で田中久重の墓に出くわした。

 田中は現在の福岡県久留米市出身。それだけに、大都会東京で同郷人に出会った感だった。

 墓所には顕彰碑があり、「万般の機械 考案の依頼に応ず」、「東芝創業者 田中久重翁」と彫られ、田中の似顔絵も描かれている。

 「あの世界の東芝の創業者かぁ……」。思わず、唸ってしまった。

 その田中の生誕地碑が西鉄天神大牟田線の高架沿いにある。西鉄久留米駅からほど近い住宅街の一画だ。

 「ここが、からくり儀右衛門ぎえもんが生まれた場所か……」

 東洋のエジソンとも、発明王とも呼ばれた田中久重は、「からくり儀右衛門」とも呼ばれた。その発明品の数々は天才にしか作れないものばかり。中でも、万年時計はスグレモノ。

絵・空鳥ひよの

 面白いことに、久留米には、他にも画期的な発明品がある。丸永製菓の「あいすまんじゅう」に豚骨ラーメン。個人的に、世界に推奨したい嗜好品です。

 ちなみに、「忠犬ハチ公」は渋谷駅前の屋台の焼き鳥が好物だったそうだ。

オランダ人技術者から世界最先端技術を吸収 佐賀藩で鉄製のアームストロング砲を完成 時代に必要とされ、時代に応える

 日本の技術革新の始まりはここだったのかと、田中久重(1799~1881年)の生誕地碑を見上げた。久留米市の西鉄久留米駅に近い住宅街の一画。西鉄天神大牟田線の高架側に碑はあった。「東洋のエジソン」とも「からくり儀右衛門ぎえもん」とも呼ばれたが、時代が久重を必要とし、久重も時代に応えた。

 嘉永6年(1853年)、ペリーの浦賀来航を機に、幕府は海軍の創設と造船の必要性に迫られた。安政2年(1855年)、長崎に海軍伝習所が設けられたが、この伝習所開設にはオランダの全面協力があった。

 伝習所には幕府関係者のほかに、福岡藩、佐賀藩、薩摩藩などが藩士を送り込んできた。そのなかに、佐賀藩伝習生として久重も加わった。久重をスカウトしたのは、佐賀藩の医師佐野常民つねたみだった。佐野は後に、日本赤十字社を創設したことで歴史に名を残す。

 長崎海軍伝習所には造船、修理のための鉄工所も併設された。鉄工所は長崎製鉄所と呼ばれ、オランダ人のヘンデレキ・ハルデス(1815~1871年)が建設、運営を指揮した。鉄工所は欧州と同レベル。いわば、伝習生は世界最先端の技術を基礎の基礎から学ぶことができたのだった。

 この鉄工所では、安政5年(1858年)、機関部を損傷したロシアのアスコルド号の修理を行った。翌年にはオランダ国王から幕府に献上された観光丸のボイラー交換を行った。修理や部品加工に必要な蒸気ハンマー、鍛冶場、鋳物場、旋盤細工所なども備えられており、オランダ人技術者と日本人伝習生とが一緒に作業にあたった。一連の修理作業を通じ、伝習生の技術力が格段に向上したのは間違いない。

 田中久重は佐賀藩で鉄製のアームストロング砲を完成させたと伝わる。長崎港警備を受け持っていた佐賀藩は、出島のオランダ商館医ファン・デン・ブルックから鋳造の技術を伝授されていた。鉄材はオランダから購入できる。佐賀藩が精度の高い大砲を生産できたのは、地の利、設備、そして長崎伝習所で技術を習得した田中久重を擁した結果である。

 ちなみに、この田中久重生誕地碑の近くに五穀神社がある。幼少の久重も遊んだ場所ではと想像をたくましくするが、ここに久重の胸像、発明品の数々を解説する案内板もある。東芝創業者・田中久重の躍動感が伝わってきそうだ。

筆者プロフィル

浦辺登さん

浦辺うらべ のぼる 歴史作家・書評家
1956年(昭和31年)、福岡県生まれ。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌等への投稿を行う。オランダ系生命保険会社勤務、財団法人日本プロスポーツ協会事務局長を経て、日本近現代史を中心とした執筆・講演活動に入る。現在、福岡の偉人の足跡を伝える講座を黒田家ゆかりの圓應寺(福岡市)などで開講し、新聞・雑誌で書評を担当。2017年6月から読売新聞の福岡県地域版で「維新秘話」を連載中。著書は『玄洋社とは何者か』『東京の片隅からみた近代日本』『太宰府天満宮の定遠館』(いずれも弦書房)など。学校現場を含め、講演多数。「福岡先哲の会」主宰。
 「浦辺登の福岡維新を歩く」は、読売新聞の福岡県地域版の連載企画「維新秘話 福岡」(連載中)に掲載された記事をもとに、新たな文章や写真などを加え、レイアウトも大幅に変更して再構成したものです。
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