第3回 「七卿記念碑」(太宰府市) 太宰府天満宮・延寿王院前 「七卿落ち」を刻む

一筆啓上

 東京都文京区大塚には、護国寺という寺がある。ここは徳川家の菩提寺だが、明治期以降、近代の著名人の墓が多く設けられた。大隈重信、山縣有朋、野間清治、血盟団事件で射殺された団琢磨など。それら墓碑群の中に三條実美の墓を見つけた。維新史に関係する人物の墓があることに、意外な感じがした。しかし、護国寺は宮内庁が管理する豊島ヶ岡御陵に隣接している。三條は皇室との関係を重視して、ここを望んだのだろう。

 三條実美の墓所に、一基の碑が立っていた。文久3年(1863年)の「八月十八日の政変」で京の都を追われ長州へと落ちていったことが刻まれている。いわゆる「七卿落ち」を述べたもの。さらに、長州から筑前太宰府天満宮の延寿王院に移ったことなども。官位を剥奪され、石もて追われた身には、終生、忘れることのできない痛恨事――。

 その三條の墓を見たからかもしれない。太宰府天満宮・延寿王院門前の「七卿記念碑」が不憫に思えて仕方なかった。誰も気づかない。せめて、案内看板の一つでもあれば、人々の関心が高まるのにと悔やまれる。

 太宰府天満宮では「神苑石碑いしぶみ巡り」という冊子を用意している。これを読むと、月形洗蔵(福岡藩・筑前勤皇党)が太宰府天満宮の祭神である菅原道真にちなみ、三條ら五卿を太宰府へ誘ったと記されている。菅原道真も都を追われ大宰府に赴いたが、後に名誉を回復し、今では「学問の神様」として崇敬されている。

 そんな「復活の聖地・太宰府」を訪れ、この「七卿記念碑」をじっくりと見ていただきたい。

七卿、命がけの逃避行 五卿は筑前勤皇党(福岡藩)の斡旋で天満宮へ 太宰府、勤皇の志士が往来する維新の策源地に

 近年、博多港には大型クルーズ船が頻繁に入港してくる。その乗客の多くは中国人だが、大型バスを連ね、一路、太宰府天満宮を目指す。その中国人観光客の人気スポットが延寿王院えんじゅおういん前の牛の座像。

 その門前市を成す延寿王院左手に、誰も関心を示さない石碑がある。レリーフがめ込まれているが、一見、自然石にしか見えない。これは「七卿記念碑」と呼ばれるものだが、いわゆる「七卿落ち」を具象化したもの。文久3年(1863年)8月18日、尊皇攘夷じょうい派の七卿らが京の都から放逐された。歴史年表では「八月十八日の政変」と記される。

 ここでいう七卿とは、三條実美さんじょうさねとみ三條西季知さんじょうにしすえとも東久世通禧ひがしくぜみちとみ壬生基修みぶもとなが四條隆謌しじょうたかうた錦小路頼徳にしきのこうじよりのり澤宣嘉さわのぶよしを指す。

 嘉永6年(1853年)、アメリカのペリー艦隊が浦賀沖に姿を見せたことから、尊皇攘夷運動は加速した。これに対し、公武合体派は協調を優先し、幕府に抵抗する尊攘派をクーデターにより排除したのだった。

 一時期、尊攘派は政治の主導権を握っていただけに、その謀略による失墜は骨の髄までこたえた。七卿は悪天候の中、逃避行を続け、長州藩領へとたどり着く。ここで錦小路頼徳は病死、澤宣嘉は再起を期していずこへと身を隠した。

 さらに、幕府は討伐軍を長州に向けたが、筑前勤皇党(福岡藩)の斡旋あっせんにより、五卿は延寿王院に転座(移転)することができた。

 そして、ここで一転、五卿を迎えた太宰府天満宮は維新の策源地となる。

 「江戸を見たくば宰府さいふにおじゃれ 今に宰府は江戸になる」(当時の俗謡)

 宰府とは太宰府のことだが、諸国の勤皇の志士が盛んに往来し、参詣人に加えて近在の物見高い人びとで盛り上がりを見せた。まさに、現在の延寿王院前と同じ賑わいが150年前にもあったのだ。

 周囲の騒ぎをよそに、延寿王院主の大鳥居おおとりい(西高辻)信全しんぜんは三條実美と京都の岩倉具視いわくらともみ(明治政府の外務卿、右大臣)との間をひそかにとりもった。薩長和解、同盟へと至る過程では強固な信頼関係を求められるが、三條の父実万さねつむと大鳥居信全とは従兄弟いとこの関係だった。

 今、雑踏の中に埋もれてしまった「七卿記念碑」だが、地元福岡の先人たちが生命いのちがけで成し遂げた一大事業が隠れている。それだけに、少しは目を向けてほしい石碑なのだ。

筆者プロフィル

浦辺登さん

浦辺うらべ のぼる 歴史作家・書評家
1956年(昭和31年)、福岡県生まれ。61歳。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌等への投稿を行う。オランダ系生命保険会社勤務、財団法人日本プロスポーツ協会事務局長を経て、日本近現代史を中心とした執筆・講演活動に入る。現在、福岡の偉人の足跡を伝える講座を黒田家ゆかりの圓應寺(福岡市)などで開講し、新聞・雑誌で書評を担当。2017年6月から読売新聞の福岡県地域版で「維新秘話」を連載しており、18年4月からは福岡市のソラリアステージで開講中の「よみうりSPACEラボ」講師を務める。著書は『玄洋社とは何者か』『東京の片隅からみた近代日本』『太宰府天満宮の定遠館』(いずれも弦書房)など。学校現場を含め、講演多数。「福岡先哲の会」主宰。
 「浦辺登の福岡維新を歩く」は、読売新聞の福岡県地域版の連載企画「維新秘話 福岡」(連載中)に掲載された記事をもとに、新たな文章や写真などを加え、レイアウトも大幅に変更して再構成したものです。
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