第2回「光蓮寺」(太宰府市) 自決した志士、土佐勤皇党・山本忠亮の墓碑が遺る

一筆啓上

 なんで、こんな所に?

 山本忠亮の墓碑は、光蓮寺の白壁と鐘楼との間、幅1メートルもあるかないかの所にあった。

 そうとは知らず、山門を潜り、納骨堂のところにまで行って確認するが、ない。「おかしいなぁ」と思いながら、再び山門に戻りかけた時、墓石が目に入る。これだ!と歓喜して、棹(墓石)を確認する。

 お墓を見て回って、何が楽しいの?

 多くの方にあきれられる。しかし、これが実に、興奮する。歴史書の人物を墓石に確認すると、本人と面会したかのごとく血が騒ぐ。本当に、この世の人だったのだ!と。ゆえに、立体的な歴史遺産が墓石。

 今回、確認したのは土佐勤皇党の山本忠亮。尊王攘夷派公卿・三條実美の警護役として、遠く太宰府の地に来た。それでいて、肺結核で余命いくばくもなく、役目を果たせないとして自決した。幕末維新史を読む中で、悲しい話は多い。この山本もその一人。中岡慎太郎、土方久元らと共に思い出してほしい一人だ。

 4つの墓石が並んでいるが、これをファインダーに収めるのは一苦労。斜めから撮影し、上から撮影し、彫り込まれた文字を確認するため接写を試みた。手前の2本は勤皇僧月照を庇護ひごした「松屋」の主、松屋孫兵衛こと栗原順平。山本の墓碑の後ろの「中村家」は高杉晋作を隠し部屋にかくまったと伝わる中村宗吾の墓。墓碑裏面、側面には五卿に関しての事々が彫り込まれている。が、墓石に欠けがあり、痛々しい。

 寺の前は、駐車場から太宰府天満宮に続く参道。多くの参拝者、観光客が通っていく。しかし、ここに幕末維新の志士たちの墓石があるとは、知らないだろう。

 ぜひとも、高知県(旧土佐藩)の方には、山本忠亮の墓に気付いてほしい。

太宰府滞在中の五卿の警護役 大事を前に決死の行動 三條実美が哀悼の歌 五卿警備の志士を奮い立たせる

 太宰府市の西鉄太宰府駅前交差点は、太宰府天満宮の参道と直結している。周囲の景色は参詣人、観光客、修学旅行生で彩られた感がある。

 その交差点近くに浄土真宗梅木山光蓮寺がある。近在の方は「光蓮寺さん」と親しみを込めて呼ぶ。

 ここには土佐勤皇党山本(兼馬)忠亮ただすけの墓碑がのこされている。「旧薩摩藩定宿」の看板がある「松屋」を訪ねたとき、現当主の栗原雅子さんに教えてもらった。

 幕末、太宰府は維新の策源地として諸国の志士が往来するところだった。山本は患っていた肺病(肺結核)の身では、志士としての務めは無理として割腹自決した。

 山本の墓碑は光蓮寺の鐘楼と白壁のわずかな隙間にあった。墓地を整理する際、棹(墓石)だけは遺してほしいと松屋の栗原家が懇願した結果だった。

 墓碑は4基並んでいるが、手前が栗原順平夫婦のもの。次に、明治44年(1911年)11月に維新に功績があったとして従五位を贈られた栗原順平の碑がある。その後ろに、山本忠亮の墓碑はあった。その碑の並び方をみると、まるで、我が子をかばい慈しむかのようだ。栗原順平とは、勤皇僧月照を自邸にかくまった松屋主人孫兵衛のことである。

 山本の墓碑正面には、「山本忠亮藤原正胤」と彫られ、右肩に「贈従五位」との文字をわずかに認めることができる。『中岡慎太郎陸援隊始末記』(平尾道雄著)のページをめくると、慶応2年(1866年)5月9日、山本忠亮は屠腹とふく(切腹)した。肺病で床に伏せ、身体は衰弱しきっていた。太宰府に滞在する三條実美さねとみ(尊攘派公卿、明治政府の太政大臣)の警護役だったが、役に立たない身として自死したのだった。25歳という若さである。

 この頃の太宰府・延寿王院には、三條実美以下五卿が滞在していた。幕府は、月照と同じく、五卿をお尋ね者として大坂へ連行しようとした。その任を帯びた幕府目付の小林甚六郎を警衛の志士たちは返り討ち覚悟で襲撃の機会をうかがっていた。緊迫の度を増す中、山本は生きて辱めをうけるくらいならと切腹を切望した。願いの儀は聞き届けられ、山本は最後の力を振り絞って刃をわが身に立てた。

 「つるぎたちわが身のうきにそひきつつ旅ちの露と消えし人はも」

 三條は哀悼の歌を贈った。

 この山本の決死の行動は、五卿警備の志士たちに深い感銘と奮起を促したという。

筆者プロフィル

浦辺登さん

浦辺うらべ のぼる 歴史作家・書評家
1956年(昭和31年)、福岡県生まれ。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌等への投稿を行う。オランダ系生命保険会社勤務、財団法人日本プロスポーツ協会事務局長を経て、日本近現代史を中心とした執筆・講演活動に入る。現在、福岡の偉人の足跡を伝える講座を黒田家ゆかりの圓應寺(福岡市)などで開講し、新聞・雑誌で書評を担当。2017年6月から読売新聞の福岡県地域版で「維新秘話」を連載しており、18年4月からは福岡市のソラリアステージで開講中の「よみうりSPACEラボ」講師を務める。著書は『玄洋社とは何者か』『東京の片隅からみた近代日本』『太宰府天満宮の定遠館』(いずれも弦書房)など。学校現場を含め、講演多数。「福岡先哲の会」主宰。
 「浦辺登の福岡維新を歩く」は、読売新聞の福岡県地域版の連載企画「維新秘話 福岡」(連載中)に掲載された記事をもとに、新たな文章や写真などを加え、レイアウトも大幅に変更して再構成したものです。
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